愛は危険だ

愛を恐れる人たちはセックスを恐れてはいない。

愛は危険だ。

セックスは危険ではない、それは巧みに扱うことができる

今では、それをどうやって行うかという、たくさんのマニュアルがある。

あなたはそれを巧みに扱うことができる──セックスはテクニックになりうる。

愛はけっしてテクニックにはならない。

セックスのなかでコントロールしつづけようとしたら、セックスでさえ究極へ到達するための助けにはならないだろう。

それは一定の地点まで行くが、また戻ってきてしまう。

なぜなら、どこかで、それもまた手放しを必要とするからだ。

オルガスムがますます困難になってきたのはそのためだ

射精はオルガスムではない、子どもをつくることはオルガスム的ではない。

オルガスムは全身が関与することだ。

心、肉体、魂、すべてがいっしょに。

あなたはうちふるえ、あなたの全存在がうちふるえる、つま先から頭のてっぺんまで。

あなたはもはやコントロールしていない。

実在があなたをのっとり、あなたは自分がだれなのかわからない。

それは狂気のようだ、それは眠りのようだ、それは瞑想のようだ、それは死のようだ。

OSHO

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