「円環を生み出す」①
我ら男と女は補足し合う仲である。
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違っているもの同士は、常に補い合う。
なんであれ 、男性の身体においてポジティブなものは
女性の身体においてはネガティブだ。
なんであれ、女性の身体においてポジティブなものは
男性の身体においてはネガティブだ。
だからこそ、深いオーガズムの中で出会うとき彼らはひとつの有機体なる。
ポジティブがネガティブに出会い
ネガティブがポジティブに出会う。
そして両方がひとつになる・・ひとつの電気の円環だ。
セックスには、たいへんな魅力がある。
この魅力は、人が罪深かったり、非倫理的だからではなく
現代社会が放縦すぎるからでもなく、わいせつな映画や文学のせいでもない。
それは、とても根が深く、そしてとても宇宙的なものなのだ。
この魅力は、 男性と女性の双方が円の半分であることから生じる。
そして、存在にはなんであれ未完結なものを完結させるためのそれ固有の性質がある。
これが究極の法のひとつだ。
なんであれ欠けていると感じるものをあなたは満たしたいと
それを完結させたいと願うだろう。
自然は未完結を、どんな種類の未完結をも嫌う。
男性性は未完であり
女性性も未完だ
そして、彼らの電気回路がひとつになったとき
ふたりが消えたとき彼らは完結の瞬間を持つことになるだろう。
私が男性と女性はひとつの
全体性の中での対(つい)だと言う時
私は、彼ら補足しあっていると言っているのだ。
そして補完は、かれらの対極が出会ったときにだけ可能になる。
Osho