➕セレブレート!

人々はいつも誰か他の人に施しをしてもらいたいと思っている。

だから彼らは救世主がやって来るのを待っている。
だが、それは不可能だ。

キリスト教徒はイエスが救済してくれると考えている。
イエスが救えるのは自分自身だけだ。

イエスが手助け出来るのは、瞑想に向かおうとする人だ

彼が苦悩や限界や惨めさから人間を救うというのは、別に同情からではない。

そして愚かな者達は、もう一度キリストがやって来るのを再び待っている。
イエスは三千年もの間待ち続けられている。

人類の歴史上、真実を正確にあるがままに話したのは仏陀だけだ。

彼は言った。「あなた自身の光になりなさい、あなたの為には誰も何も出来ない」もちろん仏陀は道を指し示すことは出来る。

しかし、後は全てあなたがすべきだ。

惨めでいるか、

祝福に満ちているか、

無知なままで生きるか、

光に満たされているかは、

あなた次第だ。

そして光に満たされる方法とは、瞑想以外にない。
あなたの全エネルギーを瞑想に注ぎ込みなさい。

生を愛しなさい。

生の小さな事柄を愛しなさい。

とても些細なこと、食べたり歩いたり眠ったり、人生の単なる日常的活動は、歓喜へと変容されるべきだ。

全てがダンスとなるほど、喜びをもってすることだ。

その時、真実はそう遠くにはない。まさにこの瞬間、あなたの至福はトータルだ。

真実があなたにもたらされる。

その時、一瞬ごとにそれは近く、近くなる。
そして真実が解放される。

瞑想は喜びに満ちた活動だし、歌だ。
義務にしてはならない。
それを楽しみ、喜びとするのだ。

あなたが瞑想を義務的にするなら、核心をすっかり取り逃がすことになる。

その時、瞑想は決して起こらない。

とても軽い、全然深刻でないムードで行った時にのみ、瞑想は起こる。

深刻さは重い、そして重いものは全てあなたを下降させる。

小さな子供が浜辺を貝殻や綺麗な色の石を集め、そこら中を走り、ほとんど風や海、そして砂や日光と一体になっているのが分かるだろうか。

あなたもそれくらい軽々となることだ。

軽さがある時、あなたには翼がある。

あなたは上に飛び立つことが出来る。

そして瞑想は、あなたのエネルギーを上昇させる動きを意味する。

物体が下に引き寄せられる力、重力を発見したのは科学だ。

重力の発見のはるか前に、宗教は全く異なった法則を発見した。私はそれを恩寵の法則と呼ぶ。

科学用語的に言うと、揚力の法則と呼ぶことが出来るだろう。

それはあなたを持ち上げ上昇させる。

しかしその為に必要なのは、重さを減らすことだ。

深刻なマインドには重さを減らすことは出来ない。

OSHO

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