二つめは、これだ。
あなたが愛を交わす時、始める前に、パートナーを礼拝し、パートナーにあなたを礼拝させなさい。
つまり、瞑想の後に、礼拝をする。
互いにすっかり裸になって向き合い、お互いを礼拝しなさい、なぜならタントラは、男と女の間にはないからだ。
それはただ、神と女神の間にのみ、起こりうる。
それはジェスチャーだが、しかしとても重要だ。
その態度全体が昇華するので、あなた方は消え去る。
お互いの足にふれなさい、そこに花の冠をおきなさい。
男性はシヴァに変容し、女性はシャクティに変容される。
今や、あなたたちの人間性は関係ない、姿かたちも関係ない、名前も関係ない。
あなたたちはただ、純粋なエネルギーだ。礼拝が、そのエネルギーに焦点を運ぶ。
“ふり”をしないこと。礼拝は、真実でなくてはならない。
それはただの儀式ではありえない、さもないと、あなたは見逃してしまうだろう。
タントラは、儀式ではない。
そこにはたくさんの儀式がある、しかし、タントラは、儀式ではない。
あなたは儀式を繰り返すこともできる。
彼女の両足に額づき、ふれる。
それは助けにならない。
それを深い意味のあるジェスチャーにしなさい。
ほんとうに、彼女を見てごらん。
彼女はもはやあなたの妻ではない、あなたのガールフレンドではない、女性ではない、肉体ではない、しかし、エネルギーによって形作られた存在だ。
最初に、彼女を聖なるものにあらしめなさい、そうしてから、彼女と愛を交わしなさい。
そうしたら、愛はその質を変える。
それは聖なるものになるだろう。
それが、タントラの全体的方法論だ。
OSHO
To be coutinue for 3…