いつも心しておかねばならないことがある

ひとつ、いつも心しておかねばならないことがある――

十分に注意していないと、自分はタントラに入っていくのだと、あなたは信じつづけるかもしれないが・・・

あなたは自分のセクシュアリティを正当化しているにすぎないかもしれない――

それはただのセックスで、タントラの用語で正当化しているだけかもしれない。

気づきとともにセックスに入っていけば、それはタントラに変わるかもしれない。

無意識とともにタントラに入っていけば、それは堕落してふつうのセックスになるかもしれない。

それがインドで起こった――というのも、それが試みられたのはインドだけだったからだ。

インドのタントラ派はいずれも、早い遅いの違いはあるが、セックスの乱交に堕してしまった。

気づきを保つことはとても難しい・・・

気づきを保つことはほとんど不可能だ。

いちばん最初から規律があなたのごく深いところにまで達していなければ、あなたが自分を欺きはじめることは十分にありうる。

インドではタントラ派が大変な勢いで、深い洞察を携えて興隆してきた。

彼らにはなにかがあった――というのも、それは人間が達しうる最高の中枢なのだから。第七は超人的だ、第七は神のものだ。第六は精神の中枢だ。

セックスからタントラへ、偉大な革命、転換が人間に起こるかもしれない。

そして東洋では、セックスをしているときに瞑想的になれば、そのセックスの質が変化し、なにか新しいものがそこに入ってくる、ということに人びとは気がついた――

それはタントラになり、

祈りに満ちたものとなり、

瞑想的なものになる・・・

それはサマーディになる

OSHO

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