呼吸がなぜ大事か?
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深くゆっくりと呼吸してごらん
中心に触れるのだ
胸で呼吸してはいけないーーーそれは陰謀〈トリック〉だ
文明、教育、道徳、そういったものが呼吸を浅くしてしまった。
中心に深く入るのはいいことだ。
さもないと深い呼吸は出来ない。
人類がセックスに対する抑圧を解かないかぎり、人は真に呼吸できない。
息が深く腹まで達すると、性エネルギーはエネルギーを得る。
息は性センターに触れ、性センターを内側から揉みほぐす。
性センターはもっと生き生きと、活動的になる。
文明はセックスを恐れる。子供たちが性センター、性器に触れるのを我々は許さない。「やめなさい!触っちゃだめ!」と言う。
子供が初めて性センターに触ったとき、その様子を観察してごらん。
そして「やめなさい!」と言って、子供の呼吸がどうなるかを観察してみる。「やめなさい!そこに触っちゃだめ!」と言うと、子供の呼吸はたちまち浅くなるーーー性センターに触っているのは、彼の手だけではなく、深いところで息がそれに触っているのだ。
息が性センターに触れ続けているとき、手だけを止めるのは難しい。
手が止まるには、基本的に息が性センターに触れていないとことと、深く息が入っていっていないということが必要だ、つまり息を浅く保つことだ。
我々はセックスを恐れている。
下半身はたんに物理的に下にあるだけではなく、価値的にも下にある。
つまり「下のもの」と貶められている。
だから「深く呼吸を入れずに、浅く息をしなさい我々が下向きしか呼吸できないのは残念なことだ」となる。説教家の中には出来る事なら呼吸の構造そのもを変えたいと思うものもあるだろう。
きっと彼らは、頭に向かう上向きの呼吸しか許さないだろう。
それではセックスはまるで感じられなってしまう。
もしセックスの無い人間を創りたいなら、呼吸のシステムを変える事だ。
つまり息が頭の中へサハスラーラ(第7チャクラ)へといき、それから口へと戻って来るシステムだ。
口からサハスラーラへ、それが経路となる。
下へいってはならない。下は危険だからだ。
深くいけばいくほど生物学的に深い層へ入っていき、そして中心へと到着する。その中心は性センターのすぐ近くだ。当然の事だ。なぜならセックスとは生そのものだからだ。
OSHO