神はいない

Osho

あなたは、私たち自身の責任は私たちにあり、神はいない、とおっしゃっています。天の定めや運命は、人生でどういう役割を果たしているのですか? それとも、天の定めや運命は、自分の外側にあるなにかに望みをかけて自分の責任を回避するための、言いわけにすぎないのですか?

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それらはまさに言いわけ以上のなにものでもない。

天の定めはない、運命はない。
あなたは、ありもしないなにかに自分の責任を押しつけようとしているだけだ。

そして、それはないために、あなたに逆らうことなどできない。

「自分の責任を私に押しつけないでほしい!」とは言えない神は、沈黙している。

あなたは神になんでも押しつけることができる――抵抗はない。
逆らう者がいないからだ。
天の定めもまた同じだ。あなたは失恋する、なにかほかのことで失敗する。

「私は失敗したのだ」と心が痛む。
傷ついた心に塗る軟膏がなにか必要になる。

運命は素敵な軟膏だ。
しかも、ただで手に入る。
金を払わなくてもいい。

あなたは、「私になにができる? すべて天の定めだ」と言う。

成功あるいは失敗、裕福あるいは貧乏、病気あるいは健康、生あるいは死――すべては『天の定め』と呼ばれる未知の力の手の内にある。

「私はベストを尽くしている。それでも、失敗してばかりだ。私は、教えられた道徳律すべてに従っているのに、それでも貧しい。それに見たところ、道徳のかけらもない者たちが裕福になり、高い地位につき、有名になっている。これはすべて天の定めだ」
それは、あなたに慰めを与える。

自分はいまだゴールに着いていないという慰めを与える。

さらに、たとえほかの人は着いていても、それはたいしたことではない、まさに天の定めだ、という慰めも与える。

だから一方で、あなたは劣等感に苛まれずにすんでいる。

もう一方では、成功している人がうまくいっているのは天の定めがそうなっているからにすぎないと考えて、あなたの嫉妬心が喜んでいる――「それはあの人とはなんの関係もない。あの人が私より優れているわけではない」

神、天の定め、運命――それらはみな同じ範疇に入る。

ありもしないなにかに自分の責任を押しつけることだ。
もし神が存在していたら、黙ってはいないだろう。

私は、神は存在しない、とたえず言っている。
もし存在していたら、いま頃……神はアシュラムに現われ、発表していなければならない。

「私はここにいる! 私は存在しないなどと、なぜおまえは言いつづけているのか?」

だが、神はけっしてやって来ない。
神の存在を否定する人びとはつねにいた。
しかし、神は自分を証明しようとしたことなど一度もない。

OSHO

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