「OSHO Times Italy」インタビュー記事

イタリア版『OSHOタイムズ』
編集者マルガによるクリシュナ・ラダへのインタビュー記事 全編

セクシャリティから瞑想へ
~肉体と感覚の目覚めから、より微細なサトルエネルギーの発見へ~

Marga:探求者として、タントラ・ティーチャーとして、そしてラダとしてあなたのことを話してください。

Radha:私はナポリで生まれ、いくぶん宗教的な家族によって修道女たちが運営する学校へ送られました。進取の気性に富んだ少女だった私は、早い時期からいつか結婚し子どもを設けといった普通の人生のパターンに対する疑問を持ち始めていました。それに加え、私はとても活力に満ちて、性エネルギーに溢れた少女でした。それは私の宗教においては何か間違っていることだというのは明らかでした。だからこそ私は混乱し、罪と生命力の狭間で引き裂かれていました。

やがて、その当時多くの人がそうであったように、私もまた60年代後半の旅するヒッピーの道を選んだのです。1人でヒッチハイクしながらヨーロッパを横断し、サイケデリックなものさえも含んだあらゆる種類の冒険をしていったのです。けれどもそのほとんどは私が求めていた世界ではなかったのです。

1974年、19歳の私はインドの地でOSHOに出会ったのです。彼に出会ったことのある人たちからOSHOのことを聞いて、そこへ行ってみようと決意しました。到着した私にとって一番の驚きは、この“スピリチャル”な男性(私は瞑想をする意味とかグルをもつという意味すら知りませんでした)が性エネルギーに対する大いなる敬意をもって、聖なるものとしてのセクシュアリティについてのシンプルに話すことでした。

自分は幸運だったと思います。なぜならあらゆる条件づけや抑圧にも関わらず、私は容易にフックが外れていくことを許せた若さと新鮮さがまだあったからです。自分の人生のその地点において実際に失うものなど何一つなかったのです。

おそらく年齢のせいだと思うのですが、OSHOはすぐさま私を“彼の翼の下”へ連れて行きました。彼は私が問題を抱えて非常に深刻な面持ちでやってくるのをみるやすぐに笑うのが常でした! その当時は彼に個人的に会うことがまだ容易な時代で、そこにはおそらく50人前後、30人のインド人たちと20人の西洋人たちがいただけでした。本当に初めての瞬間から、OSHOとともに在ることは何度も何度も恋に落ちることでした。それをうまく説明することはできません。それはまるで狂気の愛のように感じられました。

私はドイツ人のサニアシンと一緒に到着したのですが、彼はすぐさま離れて、ゴアのビーチに行きたがっていました。しかしOSHOは私を止めてこう言ったのです。「ここにいなさい。私はあなたの海だ」そこで私は彼がアメリカに行くまでプーナにとどまり、数年後に私もまたアメリカに行きました。そしてオレゴンのあと、私は彼に従ってプーナに戻り、そこに1992年までとどまりました。その後も2001年までは毎年プーナに訪れてはグループやトレーニングのリードをしたり、働いたりを続けました。今もなお時折、たとえ一日しか時間がなくてもプーナに戻ります。

Marga:タントラをどのように教え始めたのですか?

Radha:あるとき、プーナでの2年目、OSHOは私にプライマルとエンカウンターのセラピストになるためのトレーニングを受けるようにと言いました。ある日の午後、あらゆるカタルシスグループが行われている地下防音設備の整った部屋、 “チェンバー”に顔を出してみました。そしてこう言いました。「冗談じゃないわ、いやよ、私は奇麗な床を好むわ!」

あらゆる叫び、絶叫、カタルシスといった完全の狂気が表現されるトレーニングにはどうしても参加したくありませんでした。私はコミューンの中でゴシップをしたり、瞑想することのほうが正直好きだったんです。セラピーの世界に足を入れたいとは思いませんでした。だからコミューンのなかで暮らしていたときはいつも働いていました。清掃、ベーカリー、キッチン、プーナ2の時代の一定期間コミューンのボードメンバーだった時も含めあらゆる仕事を経験しました。

だから、実際私がタントラを仕事として始めたのはOSHOが肉体を離れた数年後からで、私のアプローチは常に瞑想的でありセラピューティックです。

Marga:そういうことですね。あなたのワーク、アプローチについて話してくれませんか? タントラは大きな概念として様々な意味に使われますし、人によってその生き方も多様です。そこで、ラダにとってのタントラとは何でしょう?

Radha:先に触れたように、ラダにとってのタントラはOSHOのタントラの講話に大きなインパクトを与えています。ティロパの「マハムドラーの歌」(邦題:存在の詩)、その後OSHOが語る「サラハについて」(邦題:タントラヴィジョン)もそうです。プーナでの2年目、テイクサニアスをするイタリア人たちのためにOSHOは私にイタリア語の正式通訳となるようにと言い、またエナジー伝達の触媒になるという稀な機会も与えられました。こうした経験のなかで私は性エネルギーと通常のエネルギーとの強い繋がりを感じたのです。OSHOはシンプルに誰かの身体のある特定の部分に愛を注ぐように招き、私は目を閉じて、ほとんどオーガズミックな感覚と同じほどの狂うようなフィーリングを感じました。本当のオーガズムは実際のところ始まりは下半身であっても必ずしも局部に留まるわけではないのです。それは非常に強い何かで、性エネルギーの覚醒とその拡大につながっていました。

いわゆる普通のセックスはエネルギーを“放出”するという意味であり、ゴールに到達するためのものです。オーガズムは多くの場合、ピークに到達して終わるために“緊張”をつくりだすということを意味します。エネルギー伝達のこうした実験で、私にとってはいつも同じではありませんでした。関係性の渦中にいたときでさえ、あるいはおそらくシンプルに男性とメイクラブをしていた時でも、私はその全行程を内側から観察するというのが常でした。OSHOとのこうした体験がいつも私の基準であり、それは充実感を味わう何かでした。

このことについて話しをすることは難しさがあります。というのもそれは個人的な旅であり、描写することは困難です。OSHOは常にタントリックマスターであり続けていると私は考えています。彼はあらゆるすべての規律を含んでいたという事実を遥かに超えて、とりわけそのビジョンにおいて関係性とセクシュアリティも含めていました。

私がタントラ・ティーチャーとしての経歴に話しを戻りますが、OSHOが肉体を離れる数年前に私はいわゆる“世間に戻る”ことを決意しました。自分にこう問いかけました:「私の理想の仕事は何だろう? 私には何ができて、私は何を知っているだろうか?」私はいつだって人と一緒にいるのが大好きでした。私は人々に興味をそそられたし、彼らの体験やどんな道を歩んでいるのかに好奇心がありました。だから、答えのひとつは“人々をワークすること”でした。そして、“私はエネルギーが何かを知っている、私はエネルギーに精通している”ことでした。

それにもかかわらず、私が初めてエネルギーと瞑想だけのコースをリードし始めてみると、性エネルギーがブロックされ抑圧されているときはそれが難しいということに気づいたのです。そこで私は少し戻って自分に聞きました。「私がOSHOのところへやって来た一番の興味は何だったんだろうか? 自分を最も魅了したのは何だったのか?」答えはクリアーでした。
「セクシュアリティ!」それが自身の体験に根ざした道を創り始めたときでした。そして次第に現在の5週間に渡るトレーニングへと発展していきました。

それはいくつかのモジュールに分かれています。まずセクシャリティに目覚めていくことから始め、身体の目覚め、そして感覚へと動いていき、エネルギーとセクシュアリティの異なる側面の探求をします。最終的にはより微細なワークへと到達します。瞑想がそれであり、スピリチャルな観点におけるエネルギーがそうです。

Marga:タントラについてOSHOは、性エネルギーについてのみでなく変容しうるものだとして語っていますが、また生の在り方として、生がもたらすものが何であれ意識的に受け入れる、それがあまりにそうなっていくことにより日々の日常で起きることは何でもタントリックな体験になり得ます。そしてこの“すべてはタントラ”という波のなか、多くの人たちがあらゆる類いのワークショプを提供し、それを“タントラ”と呼んでいます。これについて話してもらえますか?

Radha:タントラはすべての人のためにあるとOSHOはある時点で話したのは本当ですが、残念なことにすべてが“タントリック”になってしまっているのも事実です。時には非常に疑わしい方法で、主に特定の広告に……例えば、タントラという言葉はあらゆる類いの事に使われています。マッサージ、Tシャツ、飲料水、そして関係のないコースなどにも。タントラ・ティーチャーたちのなかで、タントラの禁欲的な部分のみを提供する人たちもいる一方で、健康的なセクシュアリティのための技法に基づいたある種のタントラを提供する、瞑想とは何の関係もないものもあります。

もちろん私たちがセクシュアリティの分野に触れるとき、そこには明確にしておく必要があるいくつかの側面があり、だからこそワークは広がる必要があります。一般に私はそのテーマとまず初めに恋に落ちてしまうほうが良いと考えています。それから次に浄化とカタルシスのワークをしていく。そうでないと人々はすぐにあきらめるというリスクをとることになります。過去においてタントラの道は、例えばまずプライマルから通過していきました。なぜなら浄化が助けになったからだし、あるいは少なくとも条件づけについて明晰さが与えられるからでした。その後、私たちはセクシュアリティと性エネルギーのなかへ自分たちが入っていくことの準備ができるようになります。

今日、自分の過去のトラウマを再び生き、すぐに直面するだけの準備ができている人はそう多くはありません。そこで私が発展させてきたアプローチは、自分自身の官能性と性エネルギーにまず寛ぐことを許すやり方です。

その後トレーニングのなかで、この体験を自分自身のものとし、自宅や日常のなかでさえも使うことができるツールを提供します。そうすることでそれはグループというエネルギーの結果のみにとどまらなくなるのです。

トレーニングの次の段階では、自身の条件づけと罪悪感の理解についてです。こうしたモジュールのひとつでは、セクシュアリティの3つの段階についてのワークを深めていくこともします(自慰、同性愛、異性愛)。

もし私たちが成長の過程でどこかの地点で留まってしまったらエネルギーが拡大するのはとても困難です。だからこそ、自分自身の潜在性が十分に発展していくことができるように、自分がとどまっているのか、そしてどこでとどまってしまっているのかを知る事が重要なのです。

トレーニング中、異性との出会いというテーマも深めていきます。私たちは自分のパートナーとどのようにエネルギーを真に交換できるのかを学びます。そして他者と共にエクスタティックに生きる機会をどうやって創っていくのか -私たちが毎日の生活のなかで普段体験しないこと- を学びます。

習慣に逆らうことで性的に自由になったと考える人たちがいますが、それはタントラではありません。事実、それはプライマルエネルギーの歪曲です。私のアプローチは他者と共にありながら本当のエネルギーの交換を許す自然なセックスへと回帰しようとする試みです。この交換は、充実感を与え、満足し、エクスタティックで、そしてよりトータルに現在の瞬間を体験する機会を私たちに与えることができるのです。

Marga:おそらく虐待経験を持つ人たちのケアもしなくてはならないのでしょうね……。

Radha: まったくその通りです。特にイタリアでは性的虐待の被害者のほとんどは女性だと考える傾向にあります。それは真実で、ほとんどが女性です。ですが、この20年私がワークしてきた中で驚いたのは幼少時代に虐待経験をもつ男性の数の多さです。そのこと故に彼らは多くのブロックを抱えます。だから性的な分野において極端にデリケートな人たちが男性、女性それぞれに多く存在します。従って私のやり方は非常に繊細ですし、私はスペース、信頼、そして方向の透明度を与えます。この安全なスペースのなかで虐待経験をもつ人々さえも自身を開き、手放すことができます。参加者が再び虐待されると感じるような状況が作り出されることを避けるために、非常に明確な境界線を引いた環境を提供することが重要だと信じています。

Marga:あなたはシングル、カップル、それとも両方にワークするのですか?

Radha:タントラは個人的です。だから私はそれを“シングル”のためと呼びたくありません。私たちは自分自身のことからスタートし、トレーニングが進むなかで平行してカップルへのコースも提供するのは2人がより深く進んでいくための機会となると考えているからです。もしあなたがペアでやってきたらとしたら、嫉妬やそれに似た何かの攻撃にあって、ひとつのモジュールのなかですべてのエネルギーが対立してしまうのです。

タントラに進んでいくにはまず初めに関係性の力学を特定し、そこに関わっているあらゆる種類の感情が一掃されなければなりません。私はより容易なやり方、つまり平行してワークしていくということを勧めることを好みます。これはカップルに多くのエネルギーを与え、互いが新しい在り方で出会うことを許し、そして互いのための愛と自由に向かっていく大きな跳躍の助けになります。

Marga:あなたが先ほどふれたセクシュアリティの3つの段階に戻ります。男性、女性それぞれの同性愛。OSHOは進化の段階で、時に異性愛へと移行していく段階のどこかで何らかの理由により次に進めなくなってしまった人たちがいると言っています。あなたのワークでは、ゲイ、レズビアン、性転換者……といった性的選択の異なる人々にはどのように取り組んでいるのですか?

Radha:OSHOが言っていることが私の経験であり続けました。そこには私自身が同性に惹かれる時期もあり、その事柄について探求する必要がありました。それを実行しました。そうしたとき異性との関係がより深く成長するようになったと感じられましたが、自分がゲイであるとは明確に一度も感じたことはありません。OSHOの言うことが正しいと私は感じていますが、それでも長い時間が経過し、このテーマについては新しい一瞥が多くあることも事実です。

こうしたあらゆるテーマについて私はオープンです。私のワークショップに参加したいゲイの人に、私は自分の方向は個人の成長にあると言います。

もしあなたが勇気をもって成長したいと真に願っていて、必ずしもそれが性的な好みを変えるかどうかという意味ではなく、それでも何らかの形で先験的な制限なしに成長していきたいなら、私はあなたが来て参加するのはハッピーです。けれども、もし自分を“ホモセクシャル”として分類したりするならば、「私はイギリス人です」とか「私はあのサッカーチームのファンです」と言うのと同じです。これは明らかにタントラではうまくいきません。なぜならタントラはあなたの勇気とオープンであることを求められるからです。

だからもしあなたがプロセスのなかで提供されるあらゆる状況に直面すること、理解すること、試みるのを望むなら、そこにはフィルターは一切ありません。あなたは自分がなりたいどんな自分にもなることができるし、タントラはまさにそれです。自分をあるがままに完全に受け入れること、そして自分に正しいと感じられないことは何ひとつしない。自分にとってそれが何を意味しようとも自身の尊厳に戻るということです。

イタリア版『OSHOタイムズ』記事より